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2007年04月12日

お花の涙

仔猫 お花の涙

 アンアン、兄ちゃんも、ぢいちゃんも、ばあちゃんもいない。
お花の長泣きがまた始まった。
ロッキーが不慮の事故で死んでから、もう20日ほどになるが、
なかなか濾過できないのだろう。
一週間も食絶ちをしたほどだから・・・・・
お花ちゃん、ここだ、ここだ、風呂場だよ。
ぢいちゃん目が見えないから、ばあちゃんが背中を流しているから
もうすぐお湯から上がるから泣くな。

滑って転ばないよう注意して上がってよ、ぢいちゃん。
一声かけて浴室を離れた。

おうおう、淋しかったか、お花おいで。
抱き上げたコタツに運んだ。
あのなあ、ロッキーは遠い世界に行ったからもう帰ってこないの。
泣くな・・・・
そんな事故に合わせたくないからひとりの外出は禁止なのだよ。
そのため、赤い首輪に小鈴をつけて、青い紐をつけて、散歩を
したいときにはばあちゃんがいっしょだ。
お前の命を守るために拘束するのだから、いじめているのでも
なんでもないのだよ。
ばあちゃんも82歳、お前は今3歳3ヶ月、命の長短は誰にもわからないことだよな。
何だか婆ちゃんが先になりそうでも嘆くことはないのだよ。
娘のいちこさんがきっとあとを引き取ってくれるから。
それまで、ばあちゃんと心からの仲良しでいこう、決して事故になんか
あってはいかんよ、ばあちゃんは決して金持ちでもなんでもないけど
たった少しの幸せでも大事に生きてゆけば、穏やかで大きな幸せに
つながっていくのだからね。
おばあちゃんのいうことわかったか?

その時だった。
お花の右の目にぽつりと浮かんだ露の玉がふっくらとふくらんだ。
お花はあきらかに泣いたのである。
そして懸命に指をなめてくれた。

近頃ありったけの華やかな仕草でしゃべりまくって若い芸能人たちを
家来にしているような易者が
「心あるのは人間だけで動物には心がないのよ」と言った。
馬鹿かと言いたい。
どんな動物にも温かい心は脈々と流れているのであって、一期一会
いろんな動物たちと関わりあう運命があるとしたら、大切に
つきあってやるべきだと私は思う。
 
山の動物たちがなぜ里におりてくるのか。
彼らの食の連鎖を荒らしているのは人間ではないのかと私はいつも
悲しい思いで鉄砲に追い立てられてゆく彼らを見つめてしまう。

山の果実、木の実、草の実、山菜など奪わなくたっていいではないか。
森を荒らすな、木を伐るな、川を汚すな 山に住むものの当然の
権利を無視して飢餓線上に追うてはならないと私は思う。
ラベル:猫 
posted by うた子さん at 10:41| Comment(47) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

ロッキーへの挽歌

ロッキーへの挽歌 散り行く仔の悲しさ

 ゆきつもどりつしながら、冬と春をいったりきたりするような今年の不思議な天候である。
そんな時、起こった我が茅屋の悲しい出来事。

3月にはいっての10日、あれ?なんだかロッキー元気がない。
みれば、黄色の吐しゃ物がジュータンを汚していた。
どうした?お前、食いしん坊の仔だから何か悪いものを食べたな?と思った。
しかし、吐いたことがよかったのか、持ち直して走る跳ぶ、
食べる、眠る、いつもの動作が帰ってきた。
 翌々日、外へ出たいというから、すぐ帰っておいで、なにげなく不注意な声をかけて夕方になった。
 お花ちゃん、兄ちゃんを迎えに行っておいで、遅すぎる。
お花は戸口から一歩外へ出たとき、外の長椅子の下を見て、ぎょっと後ずさりした。

どうしたの?
見れば、いつも元気印のロッキーが横たわったまま雪にまみれながら激しい呼吸を繰り返していた。
大変だあああ、又毒物を食ったか、婆ちゃんのあわて方は尋常ではなかった。
塩水を飲ませて吐かせよう、逆さまにした。
呼吸を助けようと胸部をさすった。手足をさすった。
しかし10分後
婆ちゃんの手の中で、ことりと落ちて動かなくなった。

なんということだ・・・・・・
ロッキーよ、たった3年3ヶ月の命か。
わなわなと手も足も震えて一歩も歩けなくなった。

こうして3月13日、ロッキーは逝った。
人でいうなら高校2年生くらいのやんちゃ坊主、
元気がすぎて時々叱られることはあっても、いじめたこともなければ、ひもじい思いをさせて覚えもなかった。

お前、婆ちゃんの家族になって幸せかと問うて握れば、しっかりと握り返してくれる仔だった。
背骨と肋骨を骨折して死線をさまよっている婆ちゃんの枕元に添い寝して指をなめたり頬をなめたり懸命に励ましてくれた仔だった。

泣くな、婆ちゃん、おいらがついているじゃないか、そういってくれた。
雲ゆきて再び帰らず、人もまた動物たちも再び還らず、こんなさだめなのかもしれない。

その夜、老夫も婆もそしてお花もみんな泣いて夕飯を食べる元気は一人もいなかった。
翌日次女の助けを借りて、市の火葬センターへ送った。
次の世は人に生まれよ。
物は言えなくても啼いて探して
「婆ちゃん、兄ちゃんがいないよぉ」
妹のお花は凡そ1週間食事をとることができなかった。ただ水だけで7日間過ごした。

兄妹仲のこよなくいい仔達だったからよほどのショックに違いない。
そして21日が彼岸の入り、ようやく乾燥餌とマグロのお刺身を口にした。
庭の樹林に風が立って、静かに雨が来た。

ロッキーが生前、玩具にして駆けっこの相手をしていた赤い毛糸のボール玉が鈴をつけたまま小枝にゆれている。
庭の散歩が好きだったから、この小枝につるしておいてあげるからね。
私は空に向かって言った。

それにしても人間のこよない友として、心を慰めてくれる仔らのために、
お願いだから毒餌などばらまかないでほしい。
こういう人間はきっと釈迦尊もイエズス様も決して良い往生をお恵みにはならないだろうと私は信じている。
生きとし生きるものすべて一期一会の付き合いを大切にしてこそ、この世は美しいのではないかと思うから。

ラベル:
posted by うた子さん at 02:40| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

婆ちゃんのつぶやき3(白鳥の北帰行)

またたび通信 婆ちゃんのつぶやき3

 暖かい上昇気流に乗って白鳥の北帰行がはじまった。
例年なら何かの事情で渡りおくれもあったりして、
5月の初めころまで続くのだが雪のほとんど来なかった今年の
北涯の国々もやはり寒さがゆるいのだろう。

さあ、帰ろう 
父が先頭となり母がしんがりをつとめ、真ん中に幼鳥をはさむ。
「いざ、子供たちよ、皆そろって、一列に並べ、1〜2〜3
いっせいに頭を3回ふる。それが出発の合図、カオカオ、カオ〜
いいか皆ついてこい」
「わかったお父さん」
湖の上空を一周し、二周し、そして高く舞い上がる。
岩手のみなさんありがとう。そういっているのだ。
来年又、無事に家族そろって大堤(北上市)の湖に帰っておいで。
午前6時ころ、カオカオと啼きつれる声を聞くと私は毎年涙ぐんで手を振っている自分に気がつく。
先導しながら「皆続いてきたか?」
父が呼べば「大丈夫だよおとうさん」子等と母が答える。

 泣き虫の私の胸の扉をほとほととたたくものは一体なんだろう。
なにとぞ、天上を統べ給う神々様 空の長旅に出発する子等を
お守りくだされと思わず合掌していた。
途中水のあるところどころに小休止をしながら家族の無事を
確かめ合って、再び上昇気流にのって北を目指す。
「2038メートル あれが秀峰岩手山 その上を飛ぶぞ、
皆ついてきたか?」
人も鳥も動物たちも家族を守るのは父の勇気であろうから。
ラベル:白鳥  婆ちゃん
posted by うた子さん at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月11日

婆ちゃんのつぶやき2

またたび通信 婆ちゃんのつぶやき2

 3月2日今年はいったいどうしたのだろう。
去年は屋根から落下した雪がついにまた屋根まで届いてしまった北東北の冬。
軒下を歩くといったって、屋内にストーブあ燃えているから分厚い氷と化けた
屋根の接点がいつ大音響とともに地上に落ちてくるかびくびくもの。
軒続きのビニールトタンなどはとっくに粉砕してどこかへとんだ。
それがなんと今年は雪が来ないのだ。
冬は純白の雪、この定番が来ないということは、地球のルールが壊れたに違いない。
 ひょうひょうとして、さらさらとして、霏々として楚々としてそしてモッツモッツと降りしきる雪は冬の花火といいたい。
 昨日のテレビの報道が耳をたたいてあーーあやっぱりそうだろうな。そうなるに違いない悲しさと虚しさでいっぱいになった。
 飲まず食わずに半年の子育てを終えた北極の白熊が二頭の子供を連れて半年ぶりの餌探しの旅に出発したとき、氷上にたくさんいるはずのアザラシの姿はなかった。
食物連鎖の地球の約束はどこにもなかった。
見渡す限りの海水を泳ぐ力などすでに無理、餓死を待つしかなかったのだ。
地球の温暖化を作ったのは誰か。
 私たち人類はこの大自然を守るために何をなすべきか考え、かつ実行するのは早急に考慮すべき大問題である。
posted by うた子さん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

婆ちゃんのつぶやき1

「姉ちゃんとこの仔猫達元気にしてる?」
「うん!ロッキーとお花のこと? うん、元気でお互いやきもちを焼きながらころころしてる」
気がついたら、妹のところも娘のところも猫だらけ。
「総勢集合したら、何匹かなあ。それで私ふと考えたのよ。
姉ちゃんは自称猫キチ軍団の分団長みたいなもの。しかも詠えるわよねえ、短歌。
あといくばくの命なりせばの82歳、一歩一歩の道野辺にまつわりついて、
小さな憩いの灯をともしてくれる猫たちのあけくれを詠んでみようよ。」
「とんでもない、喜怒哀楽、春夏秋冬、花鳥風月なら何とか楽だけど、猫百態とくれば意外と難しい。
アニメの漫画になってしまうわよ」
「それでいいの。お目通ししてくださる友人たちが思わず笑ってしまうような小冊子、
写真や絵手紙も入れようよ」
なんとかかんとかひょうたんから駒が出ておだてにのって発刊したのが「またたび」
年賀状代わりのご挨拶というところ。

アラー可愛くて楽しかったぁ、笑っちゃったわ、お世辞半分
本当が半分みたいな合評文がたくさん郵便受けに飛び込んできて、
私も思わず笑ってしまった。
今日は平成19年3月1日。弥生の初日私の茅屋は見栄も外聞も
そっちのけの雑草のまっただなか、猫たちのつきあいはそこから始まる。

posted by うた子さん at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月17日



盛岡市指定 小さな博物館
姫神焼 陶子庵
皆川禮子


 麦秋の風が立っている。東へ向かって雲が流れて、しかし同じ
雲はもう再び引き返しては来ない。昼寝の猫の夢をさまさぬ程の
蹲の水の音が、ぽつつん、かんと冴えた涼風をかすかに送り
込んでくる。轆轤を廻す作品に一段落ついたら、忘れていた指先の
痛みがしーんとぶりかえしてきた。
 私の老後は陶工として明け暮れているが、ふと、そうだ姉に電話を
いれてみよう。

「ねえ、いきなりだけど、私の発想よ、猫の歌を詠んでみない?
猫三昧、猫のまほろば、猫百態、猫づくし、猫曼陀羅・・・・。」
「それはおもしろいけど、なかなかむずかしいね。年を重ねただけで
自分の力量もほどほどで抜群とはとても言いかねるから、どうせ
漫画の域を一歩も出ないね。花鳥風月より数段むずかしい」
「それでいいのよ、葉書大のお笑い漫画、猫たちもきっと喜ぶ・

 姉は自称泣き虫の猫歌人、何とかかんとか、おだてにのって、
それもそうねと話にのってくるに違いない。そんなところが、
半ぼけ老人になりかけた老女の可愛いところ。考えてみると、
姉妹娘共、連理の枝に連なる人の家にはほとんど猫だらけ。
どうにも天下無類の猫キチ軍団の集まりで、仲良しの隣の奥様方まで
巻き込んで、ワアワアお話がはずめばモデルに事欠くことはない。
 こうして、はじめたのがこの小冊子。もしご友人の方々のお膝元に
猫たちが駆け込んでゆくご縁を得ましたらなら、どうぞ笑ってやって
くだされば幸いでございます。
 見上げれば満天の星、幸不幸は常に紙一重。殊にも小動物たちの
生命は人間の4分の1に過ぎません。この愛しい者たちと温かく
共生してこそ花の咲く地球という星は美しいのだと信じています。
気軽に猫たちのあけくれにつきあって、この仔たちからどんな心の
憩いをもらい受けたか、このかなしいまでのかすかな重さを解って
やれることこそが、共存して感じる一期一会の大切な歩みなのでは
ないかと想っています。

posted by うた子さん at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

後記より

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後記より              笹川うた子

どうしてこんなまで猫にかかわるのだろうか。

人はそう思うに違いないが、理由は簡単でなんとも無性に愛しいのである。

天空にまたたく星屑を眺めても、心の痛みが去ってくれない日も、わずかな言葉の行き違いから人から誤解を受けたときも、母や妹の死にゆきあって人生の寂寞をいやというほどかみしめた日もいつでも懸命に慰めてくれたのが、もの云えぬ猫たちであった。

婆ちゃん、見て?カラスが白樺の雪を落としてる。

そう、すべって転びそうだからだろ。

昨日はカラスのやつ、アタシの小さなしっぽをつかんで毛をむしるんだ。

そうかい、お花のしっぽは柔毛できっと子育ての布団に敷いてやるのだろうよ。カンタロも親になるとこだよ。きっと。少しわけておあげよ。

アンアン

何でも疑問なことは婆ちゃんに聞いて納得したふりをしてくれる。しかし彼らの野遊びの予知能力は人間の幾倍も高度なものであると思えてならない。
 

二センチの猫の尾つかみてはなさざる
カラスのカンタロ 親になるらし


猫の尾の柔毛下され仔の保育
やわき巣床にほしく候


もどり雪背(せな)にあつめて枯葉まで 
両手にまぶして猫帰りくる


この婆々に出会わざりせば猫お花
雨に打たれて野を何処(いずこ)まで



たとえ一首でも成る程と思える言葉に出逢ったら、大変ありがたく、妹からの1本の電話からその気になったこの小冊子、もし猫好きのお友達の方々のお手元にご縁を賜ることがあったら、笑いながらご一読されたくお願い申し上げます。

ラベル: 短歌
posted by うた子さん at 08:14| Comment(2) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

表紙より

萱つり草の指さす空がだんだん高くなって

峻烈な冬への直前をほんの一瞬ではあるけれど、

誰が子の心にも憶い出のひとつやふたるはあろうという、

そんな日本の秋はこよなく美しい。

もし、音があるとしたらあの大空いっぱいに舞う赤とんぼの

一群はどんな音がするのだろう。

仔猫たちはとおい目をして空を見上げる。

野の花の匂いや、雲や、鳥や、虫が大好きだから。

そんな仔猫達の心を抱きしめて話を聞いてあげよう。

これが「またたび」と題してマンガチックな小冊子を作る発火点になった。

発行人 盛岡市指定 小さな博物館 

姫神焼 陶子庵
皆川 禮子
posted by うた子さん at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | またたび通信 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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